2023年8月読書会メモ いいだ つとむ
読んだ
なぜ管理が必要なのか?
アジェンダの把握とネットワークの維持のため
現在進行中の複数のアジェンダの全体像を把握する
そのために思いついたことをすぐにメモをする。
それぞれのアジェンダの形成する人的ネットワークをモニターする
そのために書類を 「超」整理法(著者による改良)で管理、活用する。
メモも、昼寝も、目の前の仕事に集中するため
社会と自己を説明することと、それを変えることとはどういう関係にあるのか?
第一章 権力は誘惑するーー権力と主体の生産
権力の主要なはたらきとは、ある振る舞いを禁止したり抑圧したりするのではなく、個人と集団にはたらきかけて、一定の振る舞いを課したり、促したりするところにある。
このとき主体は、上から抑圧されることによって形成されるのではなく、行為するよう促されることによって、下から従属的に形成される。
第二章 魂をどのように導くかーー規律的な導きから自己と他者の統治へ
本章では、規律権力のはじまりがキリスト教にあるというフーコーの議論を、司牧権力というキーワードとともに紹介した。
しかし、こうした他者の統治についての考察は、それを行う主体もまた、自己と他者によって統治される 客体 であることを示す
人は自己の技術によってみずからを導くと同時に、支配の技術によって他者から導かれているからだ。
第三章 人はみな企業であるーー新自由主義という新たな統治性
本章では、自己と他者の統治の担い手が「国家」へと拡大し、近代国家の権力技術論としての統治性論へと展開するプロセスを考察した。
人を統治するための技術が発展する。
この統治術は、国家理性、古典的自由主義、新自由主義の三つに大別された。
ではそのような新自由主義型統治にはどのような異議申し立てが可能なのか、という切実な問いを生むことになる。
第四章 ほんとうの生を生きるーー対抗導きと集合的主体
第一章で紹介したパノプティコンは、そこで設計された権力がなめらかに作用することは、実際には決してないという意味で、いわば権力のユートピアである。
たしかに、後期フーコーのいう「自己への配慮」とは、先の見えない社会のなかで、一定のリスクをとり、みずからの生にはたらきかけて、そのありようを変えていくという意味での「セルフ・マネジメント」だ。
自己管理ではなく「自主管理」としてのセルフ・マネジメントである。
統治論では「自己」に大きさの制限がない。
いま私たちがどのように組織されているのかを分析したうえで、別のかたちでみずからを組織することに目を向ける必要がある。
おわりに
後期フーコーの統治論という限定的な対象を扱う
今日におけるオルタナティブな政治をいかに構築するのか? そこに現代思想はどう関与しうるのか? 筆者はフーコーを土台にこうした問いを深めたいと考えている。
「語る」というライブをするために、どのように練習するか、と読んだ。
もう一つの「読書=読んで書く」、または「ノート・テーカー」の読書として。
本を「魔改造」する。
マルジナリアを追いかけていけば、我々はどのように「読書」してきたかがわかるかも。
本を読んだら、忘れるにまかせる。大事なことをノートしておこう、というのは欲張りである。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。
忘却が加わって、記憶は止揚されて変形する。ときに消滅するかもしれないが、つよい記憶は忘却をくぐり抜けて再生される。ただもとのままが保持されるのではなく、忘却力による創造的変化ともなう。
1953年から今年2023年は70年が経過した。作中の「彼」が地球に戻ってきた時間とほぼ同じだ。
進化の結末は個と全体の二つしかないのか?
見た
特別編 『響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』
久美子部長がんばれ!石原監督がんばれ!
『SAND LAND』
おじさんがカッコいい、ハードボイルド活劇です。
『バービー』 BARBIE
『バビロン』と合わせて見れば、ハリウッドなるものの欲望が見えてくる。
『サントメール」Saint Omer
『インスペクション ここで生きる』The Inspection
TVドラマ『ノッキンオン・ロックドドア』
原作は青崎有吾。アニメ 『アンデッドガール・マーダーファルス』と同じクールで放送とは。